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有限会社ハストワのネットワーク|中途失明者・中島敏明氏の手記<1>

 

みんな同じ。幸福とは充実!!

私は20才の時、突然の目の病気でほとんど視力を失いました。光を失って

 

その時の恐怖といえば、気が動転し、訳もなく部屋の中をぐるぐると歩き回ったり、目の前に手をかざして、もう片手で、きちんと目が開いているかどうかを確かめ、瞼を思いっきり引っ張りあげても、やはり何も見えません。これは本当にもう、筆舌には尽し難いほどの恐怖です。

 

白い杖や視覚障害者用の時計などを用意してもらっても、ありがたさよりも、激しい怒りに苛まれました。誰しもすぐにはこのような障害を受け入れることはできません。


初めてその白杖(はくじょう)を持って外に出るにはかなり勇気がいりました。見えない中、この杖一本持ったことで、どうやって、歩けるようになるのか。

また一部の人達は白杖を持って歩いている私を見て、異質なものを見るように、避けて通ったり、露骨な嫌がらせや軽蔑したような言葉を発せられることも少なくありませんでした。


中島家つい、この前まで、生活していた世界と見えなくなってからの世界では、こんなにも違うのかと思い知らされました。

 

しかし、こんな辛い時、多くの方や友人が応援し、支えてくれました。『逆境こそ前進のチャンス、断じて負けたらあかん』と、自己を奮い立たせ、闘病のため、2年間休学していた高校にも、復学を決意し、6年かかりましたが、卒業することができました。

その後、きっちりとした白杖歩行のやり方や点字・パソコンなどを習い、定職に就くこともできました。失明当時では想像もできないことでした。そして、一人暮らしもはじめ、日常生活上、ほとんどの問題がなくなりました。


そんな時、妻との出会いがあり、周囲の誤解、決め付けから、差別的な見方もありましたが、積極的に話し合いをもつことで、それらも徐々に解消され、めでたく祝福され結婚し、現在3人の娘がいます。多胎児の育児はカワイサの中にも大変さがあります

下二人は双子です。

 

多胎児をおもちの方でしたらわかっていただけると思いますが、この大変さは想像をはるかに絶するものです。それに加え、日本では、公の制度として、多胎児養育家庭に対する、特別な支援措置は皆無に等しい状態です。今後の課題となる一つであることは間違いないでしょう。

 

3人の娘を風呂に入れるのは私の日課です。

中島家ミルクを作って与えたり、おむつを換えたり、何でも妻と共同して行わなければ追いつきません。

妻も私も毎日くたくたに疲れ果てていました。最近やっと少しずつ余裕が出てきました。

双子が産まれる前にデジカメを購入しましたが、上の子もまだ小さかったので、写真を撮っているような状況ではありませんでした。

そんな中、家族全員がそろって撮ったのは、この一枚のみです。6年目の結婚記念日にと前々から計画をたてて撮った貴重な一枚です。

 

 

『中途失明者・中島敏明氏の手記<2>』へ続きます。

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(転載年月日:2008/12/01)

 

 

 

■お問い合せ窓口

この手記は、中途失明者である中島氏のものです。
そのため著作権は中島氏に帰属します。

また、この手記を掲載しているのは、有限会社ハストワのネットワークを広げ、よりよい社会を実現するための理念に賛同された中島氏と、中島氏の行動力に賛同するハストワの相互協力によるものです。

 

詳しくは左記ハストワ事務所「担当:山本」まで、お気軽にお問い合わせ下さい。